2014年8月27日水曜日

都市伝説?ホロヴィッツのピアノ

ウラディミール・ホロヴィッツ。
言わずと知れた歴史に残る大ピアニストです。

二十歳の時には、すでに200曲のレパートリーがあったとか。
気難しくてワガママで、変人に近いような・・・
それも全て許されてしまうような、本物の天才です。
そんなホロヴィッツですから、エピソードには事欠きません。
ピアノに関しても、好みがはっきりしていました。気に入ったピアノしか弾かないのは有名な話。

特に知られているのが、ニューヨークスタインウェイCD75。
ホロヴィッツが最も気に入っていた楽器です。
以前、ホロヴィッツのピアノとして日本中を回って展示されたことがありました。試弾可能だったので、実際に触った事のある方もあるでしょう。
これはCD75ではなくCD503.確かにホロヴィッツが弾いていましたが、CD75はどは気に入っていなかったようです。
余談ですがCD75のCDの意味は、ニューヨークスタインウェイの貸し出しピアノで、Cはコンサート、DはD型、フルコンサートと言う事です。数字はランダムに付けられているので、年数や順番には関係ありません。CB75であれば貸し出し用のB型75番です。

CD75、製造番号156975、1912年製です。
う~ん、良い時代ですねー!
この楽器、とにかく鳴ります!信じられない程鳴ります。
あんなピアノは聴いた事がありません。現在の鳴らないピアノ、たとえスタインウェイでもです。それしか聴いた事のない人には、衝撃でしょう。ピアノと言う楽器の認識が変わってしまうかもしれない程です。



ホロヴィッツ二回目の来日、1986年の事です。
1983年の初来日時、ボロボロの演奏で某有名評論家に「ヒビの入った骨董品」と酷評された後、復活して素晴らしい演奏をした時です。初来日時の話は色々ありますが、今回は省きます。あしからず。
で、この時に宿泊していたキャピタル東急にそのピアノはありました。
何故他人のピアノを弾く事のないホロヴィッツが、そのピアノを弾いたのかはこれまた省きますが、ホロヴィッツはこのピアノを大層気に入って、2時間も弾いていたそうです。
1887年製のニューヨークスタインウェイ、ローズウッド塗装です。
この頃は今のスタインウェイと若干構造が違います。弦の張り方、フレームの形など。
このピアノを間近で見る機会がありました。持ち主のTさんとお話しさせて頂き、色々と参考になりました。Tさんは同じ調律師の先輩です。

このスタインウェイは、あのカーネギーホールに実際に置いてあったピアノです。ラフマニノフやパデレフスキー等、往年の大ピアニスト達が弾いてきた楽器です。
アメリカでオーバーホールして最終調整はフランツ・モアさんが担当しました。フランツ・モアさんはニューヨークスタインウェイのトップ調律師だった人です。ルービンシュタインなども担当していましたが、ホロヴィッツの専属調律師として有名です。ホロヴィッツに「フランツ無しではコンサートはやらない」とまで言わしめた調律師です。
Tさんはフランツさんとお友達だそうで、この1887年のスタインウェイに「ホロヴィッツと同じタッチを作ってくれ」とお願いしたそうです。
音程や音色と同じように、タッチも時間の経過や使用で変化はしますが、Tさんはフランツさんの作ったタッチを忠実になぞっているそうです。つまりこの楽器のタッチはホロヴィッツが弾いていたピアノと同じ状態を保っていると言う事になります。

ホロヴィッツのタッチの調整にも色々と言われている事があります。
ハンマーストローク(ハンマー、弦を叩く丸いフェルトです。それが鍵盤を押す前の静止状態から弦を叩くまで動く距離の事)が通常の半分しかないとか。
実際はごく普通の寸法でした。
専門的には若干特徴的な調整はあるにせよ、特別な事はありません。
但し、本当に上手いピアニストでないと弾けないかもしれません。今の単純に弾きやすいタッチとは全く違います。物理的に弾きにくいのは論外ですが、本当に弾きやすいタッチを理解していないピアニストには、相当弾きづらいタッチです。
意味が分かりづらいかもしれませんが、ここでそれを説明するのは難しいので、またまたあしからずです。

ホロヴィッツのタッチ。都市伝説になっているんですね~。